七月後半戦、仕事大詰め。






・土曜、アラザル呑み会。たくさん集まり、非常に愉しい。アラザル八号はまた、非常に豪華になりそうな予感。



・日曜日、風景画。武蔵小金井江戸東京たてもの園。終わった後中華。夕方相撲千秋楽。夜、大河ドラマ。制作。
日馬富士白鵬の全勝同士の対決、日馬富士の完勝。日馬富士は、後半戦は特になのだが、仕切りから全く相手を圧倒していた。身体が小さいはずなのに非常に大きく見え、筋肉の張りや盛り上がりがただごとではないような雰囲気を纏っており、輝いていた。顔つきもほんとうにこれは負けそうもないと云う顔つきになっていて吃驚する。相撲と云うのは裸になって晒されているが故に、そういった僅かな心の動きや表情が大銀杏から足の指先まで身体全体から、実に生々しく伝わってくるのが魅力のひとつである。ただ、それが不思議と野暮ったくならずカラッと粋にみえてくるのはやはり相撲と云う儀式や形式等のなかだからであろう。この生々しさと形式と云う、両極とも云って良い程相反する要素が大相撲を大相撲足らしめているに違いない。現在進行形ならではの克明で流動的な迫力と、過去伝統によってつみかさなってきた不変的な要素。両方ともある種の無駄なものが削ぎ落とされ原理的なことが骨格をもってみえているのが興味深いのだ。裸と伝統。ともに「必然性」の極みだと思う。
(因みにプロレスと云うのは野暮の極地である。併しあの独特の生々しさ以上の「えぐさ」を、見世物として昇華出来ている大きな要素としては、「八百長」を「公認」しているからとも云える。八百長だからこそ観ていられると云うことも大きいのではないだろうか。あとは、派手なコスチュームに身を包んだり、けばけばしく着飾るのもドラマティックな照明も、実はあの「えぐさ」を軽減させるのに大きく役立っているだろう。ボクシングの場合は、煩雑なまでの細かい規則であるか。)

日馬富士が今場所負けなかった大きな理由としては、「張り手」からの「右上手」を取って速攻で攻めると云う方程式が非常にはっきり確立していたことだろう。勿論そのような流れにならなかった場合、臨機応変に繰り出す技が冴えわたっていたと云うのもあるのだが。ただ、来場所以降同じような取り口であるならば、やはり優勝は難しいのではないかと思う。何故ならば余りに取り口がはっきりし過ぎていて相手に研究されやすいのではないかと懸念される。また、体調・体力を維持できるかどうかに綱取りは懸っているだろう。
最近、元益荒雄の部屋である阿武松部屋が非常に元気が良い。相撲賭博の震源地として非常なるダメージととばっちりをうけたのにもかかわらず、今場所後に関取がまた二人も誕生して、五人になる。そして四股名の付け方のセンスも良い。ホームページを観てみても、端的な批評と、近況のまとめ方が非常に端的且つ適確であり、明確な目標をもって力士が取り組めるような指導の仕方をしているのだと思われる。 http://onomatu.web.fc2.com/rikisi/rikisyokai.html




・月曜日、南行徳。火曜日、専門学校の体験講座。「初級デッサン講座」をやった。全く初心者よりも寧ろ、イラストレーションが好きでその種の描き方に慣れていたりすると、かえって教えるのに苦労することもある。デッサンではまず明暗や立体感、骨格や面のみかたなどものの「本質」を捉えることが重要である。併し、イラストレーション的な書き方であると、まずは記号的に判りやすく如何に人に説明できるかと云うようなことが重要視される。つまりは似顔絵や漫画表現に非常に近い。そして鉛筆の質感表現も、基本如何につるつるで滑らかなグラデーションを使用して描けるかと云うことになってくる。デッサンの場合は骨格やものの細部の肌合いや表情など、如何に複雑で立体的な情報をキャッチできるかに懸っているので、本質的にも逆のベクトルと云うことになる。従ってそちらに偏った知識経験を積んできてからデッサンを学習すると、なかなか思考をシフトできずに迷う場合も多いのである。酷い人になると、デッサンの優秀作品を観ても、つるつるで立体感が乏しいけれど判り易いイラストレーションの学生作品のほうが上手いように感じられるらしいので、なかなか教えるほうは難しい。イラストレーションの描き方や表現よりもデッサン表現のほうが高度である等とは云わない。が、少なくとも基礎的な表現を学習していくときの「上手さ」の観点と優先順位が全く違うのだと云う事だけは確かに思われる。
また、「絵画」「油絵」「ファインアート」のデッサンと、「デザイン」のデッサンも違うのではないか等と云う人も結構多い。まあ確かに受験予備校のパンフレットなど観ると明らかに違うように思われるのだけれども、矢張りどちらも突き詰めて行けば普遍的な流れにぶちあたるのであって、こちらは結局大きな違いなどはないのである。デッサン力がつけば、どちらの雰囲気にも自在に描けるようになると云うものである。そこらへんをどのように理解させていくかと云うことだ。其の為にも、大学にて「基礎造形」と云うものを、非常に徹底してやらせるべきだと思う。ファインアートの学生にも、やらせるべきだと思う。
切る、貼る、塗る等の基礎的な行為。色彩の基礎的な学習。稜線、明暗、面、遠近法等の基礎的なデッサン的なものの見方。このようなものは、大学一年生のうちに、デザインもファインの学生も学科を超え一緒になって今一度原理的に学習していくようなカリキュラムを考えてみたらどうかと思う。
勿論、イラストレーションを専攻する人も一緒にやったほうが良いと思う。導入部に於ける指導優先順位が全く逆のベクトルとは云え、矢張り一流のイラストレーターの作品ともなれば驚異的なレベルのデッサン力を感じることは云うまでもない。普遍的な流れに行き着けば総合的な理解力がものを云うのであるから。

体験講座終了後、同僚のNFが家まで来て、呑み明かす。非常に深いところまでがっつり話せたので満足。




・水曜日、一日休み。昼間永福まで自転車で散策、写真を五百枚程度撮る。ドトールで読書。図書館。写真の整理とブログUP。制作。







・ama2k46が送ってきてくれた、プーランク、ラモー、バッハ、サント=コロンブ。孰れも非常に好きなものばかりで、制作する前などに聴いて居る。
アンサンブル・アンテルコンタンポランが演奏する、べリオの<セクエンツァ>も聴いている。原理的でとても良い。








・購入
無為の共同体』哲学を問い直す分有の思考  J=L・ナンシー 西谷修安原伸一朗訳 以文社
『気になる部分』 岸本佐知子 白水Uブックス
『かきつばた・無心状』 井伏鱒二 新潮文庫
『年表解説西洋の美術』 坂崎乙郎・野村太郎共編 教養文庫
フリッカー式鏡公彦にうってつけの殺人 佐藤友哉 講談社文庫
提婆達多中勘助作 岩波文庫
『哲学の改造』 ジョン・デューイ著 清水幾太郎・清水禮子訳 岩波文庫


<A BAROQUE&CLASSICAL RECITAL> VLADIMIR HOROWITZ SONY CLASSICAL
<THE LEGENDARY 1968 TV CONCERT> VLADIMIR HOROWITZ SONY CLASSICAL
<THE ROMANTIC&IMPRESSIONISTERA> VLADIMIR HOROWITZ SONY CLASSICAL
<Francis Poulenc COMPLETE WORKS FOR TWO PIANOS> Roland Pontinen and Love Derwinger pianos BIS