メモ








・やはり霜月から師走にかけてなにやら忙しく、というよりかはストレスが高くなっていたようで、土、日、月と三連休は肉体的にも精神的にも非常にいいものになった。朝起きて風呂に入り、食事やら洗濯やらしたり、調子が良ければ制作したり、ネットをみたりするうちに昼の「ごちそうさん」を観る。観終われば、ベローチェにて二時間かそこら本を読む。読み終えたら近くの古本屋やカルディをひととおりまわり、スーパーで食料を調達。家に帰れば調理。または制作。夜は制作。徐々に八王子でのライフスタイルのようなものができている。


と云うわけで、落ち着いてくると、孤独と云うものにぶちあたるのであるが、まだ八王子の生活では孤独と云うものは或る意味新鮮らしく、Kの孤独を愛するという気持ちもようやく何となくは実感するのであった。併しながら、新鮮なうちはたぶんその美味しさと云うものの本格的なことは、味わえないような気もする。孤独と云うものは、もっともっと、馴染んで、それが当たり前になった時にその贅沢な味が判るような気もする。併しながらそうなったときは其処から抜け出すのが今度は大変そうだ。



まあこんなこと書いているうちはまだまだと云うことなんだろう。併しそれに固執して頑固に追及するつもりもさらさらなく、そうでなくなければ、それはそれでいいと云う感じでもある。
兎に角、今になって判るのは、荻窪の家に住んでいる時よりも、腰が落ち着くようになったところはあると云うこと。ただ、「自己防衛」のようなものは前よりも強くなった気もするので、それはもう少しほぐさねばならない。


一足飛びにはいかないので、ひとつひとつ密にしていくことと、なにかうまくいかないときは時を置くことなんだろう。こないだ僕の文章は、「手に書かされているところがある」というような批判をいただいたけれど、この焦り、のようなものが文章に出て、先回りの飛躍が文章を粗漏にしているということなのかもしれない。
ただ云うまでもないが、写真も絵も音楽も「運動」や「反射神経」「流れ」のようなものと云うのは重要であって、むろん文章にもそういうものは必要であろう。併し肝心なのは、その流れのようなものを失わずに、彫琢し、その中身をぎっしり詰めていくことなのだろう。
飛躍を飛躍のままに、どっかに行ってしまわないことと、飛躍自体の快感に酔ってそれ自体で満足しないことなのだろう。








・行った展覧会
『詩人と美術 瀧口修造シュルレアリスム展』 足利美術館
壁ぎわ 日大芸術学部彫刻棟
・行った音楽会
夏田昌和個展 オペラシティ




・購入
『美術様式論』―装飾史の基本問題― アイロス・リーグル著 長広敏雄訳 美術名著選書11 岩崎美術社
『作者とは何か?』 ミシェル・フーコー 清水徹豊崎光一訳 哲学書
『抽象芸術論』―芸術における精神的なもの― 西田秀穂訳 カンディンスキー 美術出版社
イリヤ・カバコフ『世界図鑑』絵本と原画』 展覧会カタログ 発行:東京新聞
『引込線2013』展覧会カタログ 引込線実行委員会 編集:櫻井拓
『詩人と美術 瀧口修造シュルレアリスム』 展覧会カタログ 瀧口修造展実行委員会ⓒ2013
『超現実の時代』 ピエール・ナヴィル 家根谷泰史訳 みすず書房
シュールレアリスムの歴史』 モーリス・ナド― 稲田三吉・大沢寛三訳 思潮社
シュールレアリスム宣言』 アンドレ・ブルトン著 稲田三吉訳 現代思潮社
『日本の近代美術』 土方定一著 岩波文庫
『「鉄学概論」』車窓から眺める日本近現代史 新潮文庫
伝統と現代』現代人の思想14 編集・解説 篠田一士 平凡社
実験音楽マイケル・ナイマン著 椎名亮輔訳 水声社