春、花粉症、感覚的なずれの把握作業としての読書



・かなりぐっすり寝て起きたら物凄く暖かい。体が縮こまらずに、普通に動くと云うのはかくも素晴らしいことかと思う。春が来たのだ。少々風が強いが、ジャンパーを着ないで外に出られるのは至福だ。風が強い。春一番だと云う。自転車で五分くらいこぐ。荻窪駅に着くあたりで、ついに来た。鼻がむずむず、目がやたらかゆい。ベローチェに着いたらもうそれが止まらなくなる。春一番とともに本格的な花粉の季節が到来したのだ。久しぶりに味わうあの苦痛。くしゃみをするともう鼻水は止まらない。十分くらいしてなんとかおさまってきたが、久しぶりに花粉の本格的な症状を味わって、懐かしくも思う。かつて花粉症になりたてだったころ、十年くらい前、は、もう風邪だか何だかわからないうちに地獄のような息苦しさに襲われていて、どうしていいかも分からずにただただ苦しんでいたように思う。ちょうどそんな時期に中国旅行に行ったのを思い出す。中国に行けば花粉が飛んでいないかもしれないので、すがるような気持ちで行ったのに、期待に反して、黄砂も加わり、もっと悪化してしまった。それにもめげずにかなりの強行軍をして、随分愉しめたものだが、それ以来随分花粉対策に腐心し、数年前より「ホノビエン錠」を呑み始めてから、だいぶマシになってきた。
家に帰るとすぐに「ホノビエン錠」を呑み、ああこれから二か月はこの薬とマスクとにお世話になるんだと思う。もう少し酷くなってくると、これらに加えて鼻に直接通りを良くするための液状の薬を買わなくてはいけなくなるのだが。


ささま書店にて、古谷利裕『世界へと滲み出す脳』青土社、を買う。どうも古谷氏やA-thing、アートトレイスギャラリー系の人々とは、それこそ本質的な「ずれ」を感じてしまうのだが、いままでそれが何なのかあまり言語化できないでいた。古谷氏の論考を読むことで、それがもう少し明確に言葉にできるのではないかと思う。それこそ感覚的、に、なんか、違う、近いはずなのに、物凄く、この人たちは、遠い位置にあるのではないか、と、彼らの作品を観るたびに、そう思うのであるから。





・購入
古谷利裕『世界へと滲み出す脳』青土社
編者:小倉忠夫『宿命の抽象画家 坂田一男』美術出版社
リーランド・ライケン『聖書の視座から人間の経験をよむ』すぐ書房
有賀寿『衣更えするキリスト教すぐ書房