千葉成夫云々






ベローチェで読書。ささま書店







・千葉成夫の文章を読んでいると、たいへん同意できる部分と、論理がからまって消化できずわけがわからない部分と、何かの観念に執着する余りかえってそれに囚われて逡巡してしまっている部分が、面白い形でブレンドされている。
結局このひとは、基本的には非常に判りやすいことを云っている人だと思うのだが、それが不必要に「哲学的」な文章を振り回すと、云いたいことがかえって閉ざされた陳腐なものに感じられてしまってもったいない感じがする。基本的に「あつい」人なんだと思うのだけれど、もう少し冷静になって、自分の本当に云いたいことをしっかり噛み砕いてから表現してほしい。
この点、(誰が共感できるか出来ないかは別として)針生一郎椹木野衣などは噛み砕いて表現しているので読みやすいし、云いたいことが正直に伝わってくる。(今のところ日本現代美術史の通史を書いているのは彼ら三人しかいないと云われているのは、寂しい)






・「沈黙」と云う、暴力



・中途半端に名前を挙げてだれかを語ると、何か偏ってみられたりされるかもしれない。だからみんな沈黙してしまうし、当たり障りのないところで終始してしまったりするのだと思う。しかし針生一郎のように、マシンガンのように作家の名前を羅列しながら巨視的に語るのであれば、かえってその名前の列に組み込まれるのが嬉しくなって来てしまうという深層心理みたいなものを想像した。




・「現代美術」と云うジャンルの単一性。これを音楽に例えると、「ヒップホップ」が「クラシック」と同一次元の偏差値のもとに語られ、評価されてしまっているように思える。例えば村上隆が「ヒップホップ」で、それが全盛としたならば、他の傾向を持つ美術は、極端にいえば「美術」だとも思われない位の傾向にある。
音楽業界のように、もう少し、ジャンルが細分化されていった方が、「現代美術」の通気性がむしろ良くなると思うのだが、どうだろう?










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