日常記述







・今日は非常に清々しいお天気。金木犀の薫りもまだまだあって、しかも程良い風。ちょうどいい温度で、散歩日和であった。洗濯日和でもあったので、洗濯をして外に干し、それからベローチェロザリンド・クラウスの「視覚的無意識」を読む。其のあと、余りにお天気がいいので荻窪周辺を自転車で散策、そして写真をさくさくぱしゃぱしゃと撮ってゆく。





・写真倉庫更新。
http://blog.livedoor.jp/yamamomomo5371/
黒川君との違いが段々明確になってくるような気がする。彼は徴候的な、映像的なのに対して僕は、構成的、絵画的。
一見ランダムのように見えて、長く撮って居ると、やはりどういうところに関心があるのか少しずつ見えて来る。しかも人との写真の隣にいつもじぶんの写真があることで、よりじぶんの写真の方向性がクリアになってくるような気がする。やはり境界を軸に廻っている。記号的なものの解体、そして未分化なものの再構築的な作業もやはりある。そして、ピンポイントになるような原色が入って居るのが好きらしい。絵画的に、一枚の構図に拘る。


比べて、黒川君のは、一枚一枚で終わらず、数枚重ねてみると、あぶり出されてくる、物語の予兆のようなものが感じられる。あくまで具体的な物語と云うよりも、抽象的な、ニュアンスとしての繋がりであると云った方がよいか。ピントの肌触りがどれもとても個性的である。僕のに比べて全体的にモノトーン、単一色である。それがさらに繋がりを保持させている。
僕の場合も、このブログに載せて居る写真群は、より一枚一枚で完結させるような方向の写真たちであるが、写真倉庫の写真は、やはり少し繋がりを意識したものになっている。但し、そこでノイズを積極的に肯定する方向に持っていっている。繋がりを、どこかで関節を外したい欲求がどうしようもなくあるらしい。
とにかく、黒川君と僕の写真は、面白いバランスなのではないかと思っている。





・昨日の夜はama2k46から送られてきたエマールのリストプログラムをずっと聴いている。リストだけではなく、随分別の音楽家や、現代音楽の作家までずいぶん幅広いセレクトなんだけれど、気をつけないで聴いていると、ぜんぶリストに聴こえて来るから不思議だ。場合によっては、リストよりもリスト的に聴こえる、別の作曲家の曲まである。ラヴェルの「水の戯れ」のような有名な曲でさえ、リストに聴こえる。ただそれくらいなら昔から、リスト「エステ荘の噴水」とラヴェルの「水の戯れ」を、続けて聴くように編曲したりしていたので、その感じは良くわかる。
しかし寧ろ、ワーグナーや、ベルク、スクリャービンバルトークメシアン、マルコ・ストロッパといった人たちまでもリストに聴こえてしまうって、どういうこと?如何にリストの影響があるとはいっても。
http://www.hmv.co.jp/news/article/1107130043/







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『現代の文学16 小島信夫講談社
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