本当だか妄想だか





・日曜、実家。月曜、南行徳。『絵画の準備を!』を線を引きながらゆっくり読む。日曜日夜、『美術手帖』1968年12月号を読む。マルセル・デュシャンの死、瀧口修造の「急速な鎮魂曲」死に対する詩。須磨現代彫刻展の詳細。大賞は飯田義国。関根伸夫「位相―大地」は朝日新聞社賞。他には宇佐美圭司や若林奮等が賞。関根のことに関しては殆ど批評されていない。凄く注目されたのだろうか?39頁目の画廊新設欄に「フタバ画廊」。夜、『夜想』13号シュルレアリスム所収バタイユ「その日その日」(岡谷公二訳)を読む。夜、アントニオ・マネッティの『ブルネッレスキ伝―付グラッソ物語―』を読む。グラッソ物語は興味深い。自分とは何なのだろうか?いったい誰なのか。月曜日、≪去年マリエンバードで≫を観る。本当にあったのだろうか?いったい何がほんとうなのか?そうといえばそうなって、鏡の世界、バロックの世界。≪シルビアのいる街で≫とネガとポジ・・・土曜、メールが来る。何が本当なのか親友なのか恋人なのか元彼女なのか親友の恋人なのかなんなのかかんなのか。本気で云ってるんだこのひと。知覚のあやふやと鏡、概念の交錯・・・他のひととの想い出。野毛でいわしともずく酢と梅酒の定食を食した後、手を繋ぎながら野毛から桜木町馬車道を通って新港パークへと赴きそこに停泊中だったあけぼの丸を暫く眺め真っ黒な海を眺め続ける。遠くにはベイブリッチ。真っ黒な海からあけぼの丸はあまりにも明るいライトを三灯ともしながら世界旅行へ船出する。先ずはフィリピン、香港、タイ、スリランカ、インド、マダカスカル、喜望峰・・・ひとりはキャベツ畑に、ひとりは画廊に勤める。
ものはいいよう、儚いゆらめき、実は虚の海に漂い侵食され変形する。