無調音楽的な写真





・無調音楽的な写真配列。平均律ではない微分写真。絶対写感。


・朝、仕事に行く前、ama2k46が送ってくれた「リュック・フェラーリがドイツのラジオ局でやった《JETZT》」を聴く。ラジオの声が言葉ではなく音に聴こえるのが心地よい。それは外国語だからと云ってしまえばそれまでなのだが。併し日本語でも、私は歌詞がどうしても音楽にしか聴こえないので、歌の歌詞を憶えられないし、何云って居るか聴きとれないことがあるし、あまり歌詞を重要視しない。が、たぶんそれも感じられるものなのだろうと思っているからだな。http://www.hmv.co.jp/product/detail/4936430



・子供(特に小学生など)を教えて居ると、さして努力したり考えたりしなくても幼時から無意識に備わっているものと備わってないものが、人によって全然違うのだなあと驚く。当然ながら無意識に備わっているものがあればあるほど話が判るし、苦労しないで知識をどんどん吸収してくれるが、無意識に備わっているだけあって、備わって居ない子のようにうんうん考えた上で身についたものではないこともよく判る。無意識に備わって居ない子の方が、実はそれ自体に就いて「哲学的」に考えることがあり、その根源的な疑問が解けた途端に俄然出来るようになることがある。はっきりとその問題について自覚的に考えた末に自分なりの答えを導き出したわけだから、それはかなり強いのだ。
勉強が黙って居ても出来てしまう子供が大きくなってから凡人になるとか、優等生が意外となにも考えていなかったりすると云うのも、こういうことに繋がって居るのだろうなと思う。
翻って私はどうかと考えてみれば、両親が美術を教えて居る家庭だったため美術(もしくは美術的感性)はもう当たり前のものであったので、小さいころより努力せずともかなり上手い方であったし、大体勘でこんなもんだろうと云う風にあたりをつけたものが大体評価されてしまったりしたが、浪人し美大生になり卒業するにあたって、その勘に頼り過ぎて居る為にかえって美術と云うものがほんとうに良く判らなくなってしまった。
で、遅まきながら卒業するくらいからやっと少しずつ、美術とはなんであるかとか、美術の技法に就いてもやっと「自覚的に」分析し始めた。だがまあ矢張り幼時からの「なんとなく」の感覚にどうしても頼り過ぎてしまうからなかなか考えれば考えるほどにますます美術が解らなくなる。三十過ぎまでなんだかずっとしっくりいかなくて、もう狂いそうであった。併し漸く最近になってうんうん考えて居ることが少し纏まってきて、ばらばらに考えあぐねて居たものが繋がってきたので、自分の中にある核のようなものがやっと少しずつ芽生え固まってきたように思うのであるけれども、それにしてもずっとその「なんとなくこんな感じ」と云うのについつい頼ってしまって苦労したように思う。今も気を抜くとそうなってしまうかもしれないので、気を引き締めて、何となく出来てしまったものに対しても出来るだけしっかりと分析するようにしている。
あまり幼時から無意識に勘で出来てしまうと云うのもほんとうに考えものであるのかなと、子供を教えて居て思うことがある。出来る子。出来ない子。出来ないままの子。出来るようになった子。出来て居たけれど判んなくなる子。それでも考え続けるひと、考え続けないひと(これは器用貧乏で終わるだろう)。最後までずっと考えないで済む人。最後までずっと考えないで、一生その何となくの鋭敏なセンスでやっていけたら、そう云う人と云うのは天才と云ってもいいのではないかと思う。そんなひといるのかな。ごく稀に存在するのだろうな。その天才を支持できるか評価できるかはまた別問題だけれど。


・得意なものほどいい気になって何となくでこなさないようにすることが大切なのではないかと思う。そう云うものに頼った才能は往々にして自分の才能と云う壁にぶち当たる。苦手なものは黙って居ても考えてきちんと根本的な処まで納得できなければこなせるようにならないのだから。本来的に苦手な人がその苦手なものに渇望し、憧れれば、これはほんとうに強いんだから。





・火曜日、鎌倉。新しいひとが来る。馴染んでくれるといいなあ。夜、新宿御苑ベローチェアラザル七号の原稿を書き始める。疲れたので読書。深夜、イングリット・へブラーのモーツァルトピアノソナタを久しぶりに聴く。久しぶりにとても和む。モーツァルトピアノソナタと云えばリリー・クラウスが真っ先に挙がるかもしれないが、どうもタッチが雑な気がして好きになれない。併し、へブラーのは円やかで和やかで柔らかいモーツァルトで、小さいころに包まれて居たビロードの生地の肌触りを想起させる。丁寧にきめ細やかに、併しあくまでも柔らかい。ハスキルペライアも悪くないけれど、無性に欲する時があるのがへブラーだ。
・その逆としてグールドのモーツァルトを聴いてむしゃくしゃをすっきりさせることもある。


・なかなか安東三の文章と佐々木敦に共感できる。『未知との遭遇』買わねば、読まねば。
http://d.hatena.ne.jp/andoh3/20120228




・購入
裸の大将放浪記』第一巻〜四巻(完) 山下清 ノーベル書房
『精神医学』 複雑系の科学と現代思想 河本英夫 L.チオンピ 花村誠一 w.ブランケンブルク 青土社
『ビゴーが見た日本人』諷刺画に描かれた明治 清水勲 講談社学術文庫